株式会社小島洋酒店

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コンセプト

Concept

TISON(ティゾン)=改革の火種となれ!
男性名詞/燠(おき)、火種(ひだね);原因、種(たね)(白水社「標音仏和辞典」による)

上杉鷹山公入部の頃(1768年)の事・・・、米沢の土地と人々は荒れ果ており、鷹山公にはまるで灰の国に見えたそうです。

しかし良く見ると、絶望的にも見える灰の中に小さな火の残りを見つけ、 それが火種になるだろうと確信したのだそうです。 そしてその火種は、新しい火を起し、その新しい火は さらに新しい火を起こす、という様に、 改革と地場産業の振興を続け、その後の 天明の大飢饉を乗り越え、 今の米沢の「鯉」や「米沢織」に結実致しました。

上杉鷹山公の行った数々の改革のその心の中には、この火種がいつも灯っていたのでしょう。

株式会社小島洋酒店は、その「火種=TISON」を基本コンセプトに掲げ、 「商品開発支援機能」「業態開発支援機能」「諸情報支援機能」などを持った 次代の酒 ・食品の地域新商社を目指し、共に栄える仕組みづくりを行ってまいります。

小島洋酒店の歴史

History
  1. 明治 初年(1868頃)

    米沢市今町にて、酒、食料品の卸売及び小売店として営業を開始する。 初代、小島長五郎は、ビールの将来に着目、キリンビール及びエビスビールを特約販売する。同時に屋号を小島洋酒店とする。 その後、大日本麦酒会社(エビス・サッポロ・アサヒの3社合併会社)も特約とする。

    キリンビールポスター
    当時、キリンビールは明治屋が発売元だった。
  2. 大正6年(1917)

    米沢の大火により店舗家屋が全焼したが、見事に再建する。

    再建後の小島洋酒店外観
    2台のフォードトラックと共に。
  3. 昭和19年(1944)

    第二次世界大戦時の国家総動員法により男手が順次動員され、 統制品だけとなった店を女手だけで守り通す。

  4. 昭和22年(1947)

    動員されていた男手が順次復員し再び全員揃う。

  5. 昭和23年(1948)

    法人に改め、社名を株式会社小島洋酒店とする。 その頃、戦後の新たな酒類卸機関づくりに奔走し、 山形県酒類卸協同組合米沢出張所長・米沢酒卸協同組合理事長に就任する。

  6. 昭和25年頃(1950頃)

    有力小売店などにオリジナルの看板を配置し、トラックを宣伝カーに仕立て 「ビール・ビヤ樽・瓶でもホイ、泡立ち嬉しやジョッキでグイ」のレコードを 鳴らし、地元でのビールの宣伝活動を積極的に展開する。

  7. 昭和29年(1954)

    全酒類卸売免許を取得、ビール、清酒、焼酎、ウイスキー、その他の洋酒、 食料品の特約商品の卸売業に専念する。

  1. 昭和42年(1967)

    米沢市と共に官民共同の米沢計算センタ一を設立。同時に役員に就任し、 同社に事務処理の一部を委託する。

  2. 昭和43年(1968)

    得意先の事務処理支援のための「酒・小売システム」を開始する。

  3. 昭和48年(1973)

    山形市に酒類蔵置所を設け、同地域の営業拡大を図る。

  4. 昭和58年(1983)

    山形食品営業所を新設し、同地域への食品販売を行う。

  5. 平成 元年(1989)

    山形食品営業所を新設し、同地域への食品販売を行う。

  6. 平成 4年(1992)

    酒販店の急速な業態変化に伴い、業態別支援の研究と実践に着手する。

  7. 平成 6年(1994)

    基幹業務システムをデータベース志向型に全面刷新する。

  8. 平成 6年(1994)

    東北芸術工科大学情報計画学系と産学共同の商品企画研究を開始する。

  9. 平成 10年(1998)

    インターネット・イントラネットの業務利用研究と実践に着手する。

  10. 平成 20年12月(2008)

    山形営業所:新社屋新築落成。 (大野目)

  11. 平成 22年7月(2010)

    山形営業所が山形支店となる。

  12. 令和 元年6月(2019)

    山形支店:新社屋新築落成。(くぬぎざわ西)

アクセス

Access

米沢本社

〒992-0012 山形県米沢市金池8丁目5番1号
TEL 0238-23-3015(代) FAX 0238-23-1988

山形支店

〒990-0850 山形県山形市くぬぎざわ西2番4
TEL 023-666-6072 FAX 023-666-6073

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